競馬界の騎手から調教師に転身した的場均さん。その名は「ヒットマン」として多くの競馬ファンの心に刻まれました。
しかし、調教師としては苦戦が続き、息子の勇人さんと「親子そろって…」とネガティブな意味で注目を集めています。
この記事では、的場さんの輝かしい経歴と現在の課題について見ていきます。
的場均のプロフィール
的場均さんは、北海道新冠郡新冠町の出身。
生年月日は1957年3月25日ですので、年齢は2025年で68歳になります。
実家は米作農家で、10人兄弟の末っ子という家族構成。家で農耕馬を飼っていたことから馬は身近な存在だったことや、父親に札幌競馬場に連れて行ってもらったことから漠然と騎手に憧れを抱くようになったそうです。
中学3年次に中央競馬の騎手課程を受験したものの不合格に。その後、大久保房松調教師の元で短期講習生(厩舎で作業をしながら騎手を目指す)になり、1975年3月1日に騎手免許を取得。
私生活についてはほとんど明かされていませんが、妻と二人の息子(一人は騎手時代のバレット、もう一人は騎手の勇人)がいることは確認されています。
現役時代はイケメン騎手として人気を集める一方、友人のさだまさしさんが作った曲「ひとりぽっちのダービー」を1000勝の記念品として関係者にCDを配布した一面も。
今の時代では見かけませんが、昔は騎手の増沢末夫さんや力士の増位山太志郎さんなどアスリートがレコードやCDを発売することは珍しくありませんでした。
なお、最近では「ウマ娘。」関係で注目をされる的場さんですが、本稿ではウマ娘関連の話は無いのであしからず…。
的場均厩舎が弱い理由とは?
的場均さんは2001年2月をもって騎手を引退し、同年3月1日に美浦トレーニングセンターで自分の厩舎を開業しました。
ファンからは的場さんがどのような馬を育てるのか注目を集めましたが、G1レースを勝つ馬は出せていません。それどころか、重賞レースすら勝ったことはなく、ファンでなければ調教師を続けているのかどうかも分からないような成績です。
現役時代からは想像もできないような成績に驚いた方も多いでしょう。ここまで苦戦をしている理由は、複数の原因が積み重なっていると考えられます。
調教師としての資質の有無
現役時代はレースを終えた馬の様子を見に行くなど心身の様子を気遣っていましたが、調教師になってからは謎のローテーションを組むことがあります。
一例をあげると、地方から転厩してきたユキゲシズク号。
同馬は2023年12月26日付でJRAに登録され、翌年1月13日、21日、27日、2月4日と連闘させた挙句、レース中に骨折して現役を引退して繁殖馬になりました。
的場厩舎はユキゲシズク号に限らず連闘するパターンが多くあり、その内容も権利取りや上り調子の場合ではなく、同じ距離を走らせたり、長距離と短距離を繰り返すなど、手当て狙いと誤解をされそうな登録が散見されます。
もちろん、数を使ってほしいという馬主の意向もあるでしょうが、それに従って馬の成長を阻害したり壊したりするのであれば、調教師の資質は高いとは言えません。
大手クラブとの縁の無さ
この記事を見ている方は競馬に詳しい方なので詳細な説明は省きますが、要はサンデーレーシングなど大手クラブの馬を預かれるかどうかに尽きます。山元トレセンなど外厩が発達した今、JRAのトレセンの存在意義は低下し続けています。
大手クラブの馬は、自前のトレセンで仕上がった状態で出走予定前に入厩し、走り終えるとまた戻っていきます。つまり、素晴らしい成績を挙げている調教師の多くは、調教師というよりも出走登録の代行業者のようなものです。
むしろ、大手のトレセンを使えない(使わない)個人馬主が多い的場厩舎こそ腕の見せ所と言えますが、その腕が微妙な感じがするがツライところと言えるでしょう。
以前は藤澤、森、松田国英、伊藤雄二、瀬戸口、小林稔など調教師それぞれの個性が見えましたが、最近は顔が見える調教師が減ったような気がします。
その点では、今の調教師は技術よりも営業力が大事で、あとは外厩トレセンのスタッフにお任せ状態。その点を踏まえると、営業や頭を下げることが得意ではない的場さんが成績不振なのは、ある意味で当然の結果と言えるかもしれません。
息子の勇人と再び師弟関係に
的場均さんの息子、的場勇人さんも2006年に父の厩舎所属の騎手としてデビューし、2024年末で129勝をあげ、2014年4月1日付けでフリーに転向しています。
129勝と聞くと凄いと思ってしまいますが、平均は10勝以下という寂しいもので、最近では年間成績でも未勝利や1勝という驚愕の数字をたたき出し、アンチからも心配されるという状況に陥っています。
そんな中、2025年1月8日付けで父の厩舎に再び所属することが発表されましたが、的場厩舎のファンからは両者を心配する声があがっています。
成績が良くない厩舎の馬に成績が良くない騎手が専属として戻ってきて優先的に乗るということは、双方にとって良いことか悪いことかはあえて言いません。
2025年6月2日現在、親子そろって0勝という非常に残念な数字が出ています。下半期の巻き返しがあるかどうか、馬券は買わなくても見守って欲しいところです。
現役時代はヒットマンの異名も
ここまで調教師としての的場均さんを見てきましたが、騎手時代は「ヒットマン」の名にふさわしい見事なものでした。
ライスシャワーとのコンビで、1992年の菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻止、翌年の天皇賞・春ではメジロマックイーンの3連覇を阻むなど大舞台で活躍。ヒットマンや刺客という異名は、重要なレースで記録を阻止する姿から生まれました。
ただ、的場さんはヒットマンなどの異名を嫌っていたらしく、ライスシャワーとのコンビについて「競走馬と勝負師が勝ちにいっている」と語り、ヒール役として扱われることに不快感を示しています。
一番強い馬をマークして愛馬を勝利に導くことは騎手として当然のことであり、それをヒットマンや刺客な悪役のイメージを付けられるのは不愉快だったでしょう。的場さん自身も口にしているとおり、異名は勝負師や仕事人の方が良いですね。
今回のまとめQ&A
Q:的場厩舎が弱い理由は?
A:大手クラブとの縁がないこと、理解しがたいローテーションを組んで故障をさせるなど複数の要因がありますが、腕よりも営業が苦手な性格なのかもしれません。
Q:息子との二人三脚とは?
A:息子の的場勇人さんは的場厩舎としてデビューし、フリー転向を経て2025年に再び所属騎手になりました。お互いの成績を良くするかどうかは微妙です。
Q:騎手時代のヒットマンとは?
A:ライスシャワーとのコンビで、ミホノブルボンの三冠やメジロマックイーンの天皇賞・春3連覇を阻止。その様子からヒットマンや刺客と呼ばれましたが、的場さん本人は不快感を持っていた模様です。
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