井脇ノブ子の現在。引退後は貧困生活?死亡説が出るほどの病気&モンゴルの勲章を受賞

2025/06/21

政治家

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井脇ノブ子さんは、いわゆる「小泉チルドレン」として衆議院議員に当選し、あまりに個性的なキャラクターで人気に。

しかし、旋風が収まると実力不足が明白となり、議員の任期は一期でピリオドを打ち、バッヂを外すことになりました。

今回の記事では、井脇さんの2025年現在や死の危機、モンゴル勲一等教育賞受賞について見て行くことにしましょう。

井脇ノブ子

井脇ノブ子のプロフィール

井脇ノブ子のプロフィール 年齢 出身地 所属政党

井脇ノブ子さんは、大分県佐伯市鶴見梶寄浦の出身です。

9人兄妹の末っ子で家は極貧ということもあり、幼いころから海に潜ってアワビやサザエを採って家計を支えました。生活のための漁で泳ぎが上手くなり、高校時代には100メートル自由形で国体の大分県代表選手になっています。

高校時代、空腹のあまり道路脇の畑にあったトマトを36個食べて農家の人に捕まったというエピソードは有名ですが、さすがに36個は食べ過ぎだろう。

水泳以外に珠算も得意で、井脇珠算教室を設立したことも。また、社交ダンスも得意とのことですが、ドレスコードはどんな感じなのかは謎のままです。

実は、27歳のときに婚約者がいたものの、母に「母親になるより教育者として多くの子を育て欲しい」と言われ、男性と別れて教育者としての道を選びました。

教育者としての実績は豊富で、別府大学時代には同大学の水泳選手兼コーチ、拓殖大学大学院へ進学後は同大学と東洋大学、さらに日本女子大学の監督やコーチを務め、1985年4月に学校法人国際海洋学園を設立して自ら理事長に就任。

ちなみに、兄が殺人容疑で逮捕されましたが、のちに冤罪と確定しています。

引退後は教育者として慎ましい生活

井脇ノブ子さんは、2005年9月の衆議院議員選挙(郵政選挙)で大阪11区から自民党候補として立候補し、選挙区では敗れましたが比例で当選をしました。

その後、2009年の選挙で落選して議席を失い、2012年の選挙でも再び落選。2014年11月に政界引退を発表しました。

引退後は再び教育者として活動を始め、実体験を踏まえた講演会やボランティア活動、さらに日中友好を目的とした青少年の交流事業などに尽力。また、趣味の水彩画繋がりで一般社団法人・新美術協会の特別顧問も務めています。

生活について一部メディアで極貧や生活保護と報じられていましたが、生活保護については否定をしています。また、住居は4歳年上の秘書だった女性のマンションで同居をしているらしく、月9万円の年金から3万円を支払っているそうです。

国会議員は引退しても顧問などで喰っていけると思われがちですが、家柄や実績が無いと厳しいことがうかがえますね。


死の危機を乗り越えて勲章を受章

一部で井脇ノブ子さんが死亡したという驚きの噂が流れましたが、現在も元気に様々な活動をされています。

ただ、死の危機があったことは井脇さん本人も認めていました。

2019年11月に東京タワーでの講演直後に倒れ、病院で過労による急性胆のう炎と診断されたそうです。

直径1センチ以上ある胆石が3つも胆のう管に詰まり、胆のうと肝臓が癒着、さらに敗血症も併発し、ICUで5日間も意識不明になっていました。

しかし、キャッチフレーズの「やる気!元気!いわき!」にふさわしく、3度の開腹手術を乗り越えて見事に復活を果たし、2020年1月に退院をしています。

また、痩せているのは病気の経過が悪いのではなく、3度の手術や健康に気を使った生活になったことの結果だそうです。

死の危機を乗り越えた井脇さんはより一層精力的に活動し、 2025年にモンゴル国より勲一等教育賞を賜っています。

なぜモンゴル?と思われるでしょうが、井脇さんが設立した国際開洋学園の菊川南陵高校と和歌山南陵高校は積極的にモンゴルの生徒を受け入れており、長年の貢献が認められて受賞したと考えられます。

教育の成果はなかなか目に見える物にはなりませんが、このような形で認められるということは、井脇さんにとって大きな励みになることでしょう。

今回のまとめQ&A

Q:2025年現在は何をしているの?

A:教育者として講演会やボランティア活動、美術関係の顧問など様々な分野で精力的に活動をしています。


Q:貧乏生活って本当?

A:年金は月9万円程度と公表していますが、講演や団体の役員など収入源は多岐にわたりますので、貧乏というほどではないと思います。


Q:死亡説が流れてたけど・・?

A:2019年11月に急性胆のう炎で倒れて危篤状態になりましたが、病魔に勝って見事に復活を遂げています。


Q:なぜモンゴルの勲章?

A:井脇さんが設立した学園で、長年にわたりモンゴルの子供たちを受け入れたことなどが評価されたと考えられます。


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